映画『パーフェクトブルー』を観た

アニメ・漫画など

アマプラで無料だったので、横になりながらスマホで観た。


観終わって、しばらく呆然とした。最後の台詞が頭から離れない。

「私は本物だよ?」

…………………………

……いや、信じられるか……‼


事件の真相については、ネットで検索するといろいろと考察しているサイトが出てくる。


いくつか読んだ。なるほど、そういうことか……

しかし、僕の頭にへばりついたラストの台詞については、まだスッキリ出来なかった。


「私は本物だよ?」


これは誰に対して言ったのか。もちろん僕ら観客に対してだろう。


どこまでが現実で、どこからが夢なのか、その境が曖昧な作品にあって、なぜ最後にそう言ったのか。


ある考察サイトでは、最後に主人公は幻影を乗り越えて確固たる自分として進んで行く、と解釈していた。

だが僕にはそうは思えなかった。


何か、1990年の映画『トータルリコール』を観ている時に感じたものに似ている。


あの映画も、どこまでが夢で、どこからが現実か、という疑問を観客に抱かせる場面が劇中で描かれていた。そのラストでさえも、それを疑うことは可能だと考える人も少なくない。


機械を使って行きたいところに行ける世界。機械は人類の幸福に貢献すると信じて疑われない世界。なるほど、そうした側面は確かにある。実際、機械自体に善悪はなく、それを用いるこちら側の問題だ。それを何の抵抗もなく、使うことが当たり前な人間にあっては、また何の疑問も抱かず、それに使われていたとしても気づきようがない。


だが、機械自体に人間に憑依する意思なるものなどないとすれば、人間は何に使われるというのか。


機械を使うことで肥大化した僕らの何かに、である。


それは普段は意識の下に潜在し、僕らの前に現れるときには大抵負の感情をも引きずってやってくる。


「私は本物だよ?」

それはこう言っているようにも聞こえる。

「あなたはどうなの?」


パーフェクトブルーで描かれた時代は今から約四半世紀前の90年代、一般の人にも本格的にパソコンが普及し出したインターネット黎明期だ。劇中でも警備員が架空のアイドルの日記をパソコンで更新し続け、主人公のミマもそれをパソコンで読んでいる。


ミマはアイドルから女優に転向したため、アイドルとしてのミマのファンだった警備員はそれを受け入れられず、アイドルとしてのミマが書いたような日記をネットで公開していた。それにはルミも大きく関与しているかもしれないが。


パソコンやスマホを使ってニュースなどを見る、あるいはSNSなどに書き込む、というのは今では誰でも当たり前に行っている。


僕もたまにブログを投稿する。Xも見る時は良く見てるし、他のSNSプラットフォームで書き込んだりもする。


だが、そこでは誰もが自由に発言できる反面、対話のしようもないほどの断絶、またそこからの不毛な争い、いや誹謗中傷のようなものさえ横行している場所でもある。


そして、実は僕にも覚えがある。誹謗中傷のようなことをしたことはないが「こんなことまで書く気はなかった」ということを、ついカッとなって書いてしまったことが。


もちろん、書いてよかっと思うこともある。自分でも書いたことを忘れた頃に返信が来て、それが励みになるものだったり、自分の言いたかったことをより適切に直してくれたり補足してくれたりするものだったりすることがある。しかしそれはたまにしかない。


SNSプラットフォームのコメント欄で、自分とは反対の考えを持っている人たちのコメントばかりを見ているとイライラしてしまうことがある。多勢に無勢で何か言ったらボコボコに言われる。万が一仮に勝ったとしても虚しい気持ちの方が大きい。


そういう時は一旦ネットを断つのも有効だろう。だが、自分がこうした状態になったのは、本当にただ自分とは反対の意見を多く見たからなのだろうか。これを仮に本などから得た場合、自分はこのような状態になったのだろうか。


ネットやSNSの利用で脳内でドーパミンが過剰分泌されることで止められなくなることをドーパミン中毒、ネット依存と言う。最近ならドパガキ。つまり紙から情報を得て紙に手書きするのと、パソコンなどの機械から情報を得てそこに入力するのとでは、何か人間の感情などの面において差が生じることはないのだろうか。


AIにそのことを聞くと、どちらもとくに差はないという研究があると反証された。だがこうも言った。君の仮説が正しいか間違っているかは今のところはまだわからない、と。


つまり、紙で読んだり紙に書いたりしている時は制御できるものが、機械を通すことで制御しにくくなる何かが人間にはあるのではないか、という疑問が僕にはある。これは一つ一つの情報としてはほとんど気にならないほど弱い差でしかないかもしれないが、今のネット全盛期においては膨大な量の情報を機械から得て、またそこにアウトプットする、を繰り返すことで、それがかなり決定的な差になるまで開いている側面もあるのではないだろうか。


SNSのトレンドを見るとよく諍いが起こっている。そういうのを見ていると、だんだん自分の中から何かしら言いたいものが自ずと生じてくる。その時には大抵あまり良い感情とは言えないものがそれに付随している。


そして僕は書き込む。その時の感情も、思いも、紛れもない僕の本当だ。本物の僕がやっていることだ……


……本当だろうか?

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