【銀魂】高杉について思うこと

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銀魂の登場人物のほとんどがギャグも兼ねる中、ほぼギャグをせずいつもクワッとしてシリアス路線を一人突き進んでいた高杉。彼の初登場は源外を支援するところからであり、思えば源外の動機そのものが高杉の国を壊すテロリスト活動の動機と重なっている。源外は戦に行った息子を幕府に処刑されて以来復讐の準備を進めて将軍の首を取る機会を伺っていた。高杉もまた師の松陽を奪った幕府への憎しみが行動の動機の一部になっている。

高杉が憎む国と自分


しかしここが銀魂らしいとオレは思うところがある。師の松陽を実際に手にかけたのは銀さんであり、それは幕府によって松陽かその弟子の高杉たちかどちらかの命の選択を銀さんは迫られたからであった。理由があるとはいえ、心理的には割り切れず直接手にかけた銀さんを逆恨みして高杉が憎んでもそれほど不自然ではない。しかし高杉は自分の方を助けたことに疑問を抱いているものの、銀さんを怨んでいるかはともかく憎みはしなかった。二人に共通するのは一番憎んでいる相手は互いに自分自身というところだ。幕府への復讐を考えるまた子は高杉を誘うも、高杉はこう返している。

「一緒に?俺とお前の仇が同じだとでも
だったらその銃で自分の頭を撃ち抜いてみろ
俺がやろうとしてんなそういう事さ
国を壊すってなそういう事さ」

『銀魂』空知英秋 集英社 632訓


高杉のこの動機については高杉と同じ志を持つ佐々木の行動の動機が参考になる。高杉と行動を共にした佐々木、喜々、神威といった人物の考えは高杉と重なるところが少なくない。

「私が斬らなければいけないのはこんな蛮行が国によって行われるこの時代
そして……その時代から何も護れなかった自分自身だ
…私のためにその剣を使い続けろ
そして来るべき時がきたらその剣で私を斬れ
それが私の復讐だ」

『銀魂』空知英秋 集英社 540訓


幕府から妻と赤子を護れなかった佐々木が現政権でエリート街道を邁進していた理由は、自らを政権の悪の象徴として人々に政権打倒の決起を促し、この時代そのものを終わらせることだった。彼は自ら悪役を担おうとした。テロリスト活動の方面から同じことをしようとした高杉も同様であったのかもしれない。
外道の道を進んでいた次郎長の動機も高杉と重なるところがありそうだ。次郎長が犯罪行為を重ねてでもしたかったのは天人からかぶき町を護ることだった。

「戦争を通して学んだことが二つある
一つ目はこのままじゃこの国は天人に食いつくされること
二つ目は自分があまりにも無力だってことだ」
「それでも護りてーもんがあんならてめーが変わるしかあるめーよ
俺ァてめーらに勝つために人間やめたのさ」

『銀魂』空知英秋 集英社 305訓



平子は、銀さんと次郎長の違いは共に何かを失いながらも一方は「何かを抱えてのたうち回り」ながらも大切なものを護ろうとし、もう一方は「抱えることをやめて大切なものを傷つけてでも修羅となっても」大切なものを護ろうとしていると302訓で述べている。また、お登勢さんは次郎長にこのようなことを言っている。

「変わりゃしないさアンタも銀時も
どっちも自分勝手なバカヤローさ
ただアイツには自分が誰かに支えられているように
自分も誰かを支えている存在だと気づかせてくれる奴等がいただけさ」

『銀魂』空知英秋 集英社 309訓


戦争が終わり、空っぽだった銀さんはそれゆえに万事屋を始めたと言う。対して高杉はテロの準備を始める。銀さんが高杉のような行動をしなかった理由の一つにはそうした理由もあったのだろうか。しかし高杉や佐々木には銀さんのように気づかせてくれる奴等がいたようにも思える。では彼らが悪とされるような行動をあえてとった理由とは何だろうか。それは近藤の師匠がそうしたように、最も忌み嫌う方法でもっとも大切なものを護ることで、汚れていくことを自らに課したのかもしれない。自分に罰を与えようとしていたところは銀さんとも共通している。

高杉の持つ苦しみと疑問


虚はある意味で銀さんの憎しみの部分、心の弱い部分が肥大化した存在だった。その虚と同じ役割を将軍暗殺篇までの高杉は担っている。むしろここで銀さんと戦って高杉が変わり、彼が本当の戦いを開始したために、次のさらば真選組篇で虚というラスボスが出現し彼がその役割を引き継いだようにも思える。最終回近くでの虚との決戦で、虚は銀さんと高杉は「互いの苦しみを知ってしまった」と述べている。二人が手を組んだのがそのためなら、将軍暗殺篇まで敵対していた理由は互いの苦しみを知らなかったためだろう。高杉の苦しみとは何か、両者が激突した最大のシーンを見る。

「俺達の仇は俺達自身だ 俺達はあの人を救うために戦ったにもかかわらずその弱さゆえ…あの人の命を踏み台に生き残っちまった お前にその咎を背負わせて」
「俺達は生き残るべきじゃなかった…何故俺達を救いにきた 何故俺達を見捨て先生を救わなかった お前ならきっとできた あの時…約束したのに」

『銀魂』空知英秋 集英社 520訓


激しい剣戟を交わした後、高杉が絞りだしたのはそのような苦しみと疑問だった。対して銀さんはこう言う。

「もしあの時お前が俺でもそうしたさ だからお前は俺に刃を向けるんだろう だからお前は己ではなくもう一人の己に刃をつき立てるんだろう」

『銀魂』空知英秋 集英社 520訓


これ以降二人が敵対することがなくなった理由は、おそらくこの同じ状況ならどちらも同じことをしたという気づきによる。それともこれら一連の台詞をぶつけ合うことで二人は互いの苦しみを知ったのだろうか。不意を突いて高杉を倒した朧は、さっきまで高杉と戦っていた銀さんになぜ高杉を庇うのかと聞く。

「今も昔も俺達は変わらねェ それぞれがそれぞれの胸にかかげた侍になるために自分自身と戦ってきた 俺はコイツの侍を…やり方を認めるワケにはいかねェ たとえ斬る事になってもコイツを止める」

『銀魂』空知英秋 集英社 522訓

「この世で最も憎んだものは同じだ てめェらだけにはコイツを斬る資格はねェ」


侍のやり方は違っても互いの痛みを二人は共有した。高杉との関係はここから変わり始めた。万斉は銀さんと戦った後の高杉の眼が以前より何かをかたく見据えていたと述べている。この「見据える」という使い方は朧が佐々木について述べている時にも用いられている。

「佐々木も斬らなかった
本当に斬るべき敵を見据えたからだ」
「佐々木があの時見据えた敵は…」
「佐々木異三郎自分自身」

『銀魂』空知英秋 集英社 540訓


高杉が以前よりも強く再認識したのも同様のことのように思う。そしてこの己という敵を見据えることこそが坂本が喜々に言った「わしらもあなたもこれからが本当の戦い」の「戦い」の意味だった。それが高杉が抱いていた銀さんへの疑問のアンサーにもなっている。

「坂本辰馬
何故私を生かした
この屍の頂で一人残った私に一体何をしろというのだ
──いやもう何も問うまい
それは自分自身で見つけねばならぬ答えだ」

『銀魂』空知英秋 集英社 567訓

喜々が他者に利用され利用するだけの将軍だったのは彼が初めから空虚だったためということだった。彼がそれを認めた上で行動しようとするのは、何もない空っぽゆえに何でもできる万事屋を始めた銀さんや剣の腕も何もないゆえに真選組のリーダーたちについていくことができた山崎にも通じる。高杉が銀さんと戦って見据えたものは、洛陽決戦篇で神威が銀さんたちとの戦いの中で見つけたもの、己の弱さをしったがゆえに見えたものと同様の意味だろう。


573訓で目覚めた高杉は新八を助け、銀さんと共闘する。今までの高杉はいったん死に、ここで新しく生まれなおしている。


高杉の覚悟


その後、最終章である銀ノ魂篇で現れた高杉は虚を倒すことが「今俺がここに生きている意味だ」と述べている。また、地球に戦争を仕掛けて来た圓翔に対し「俺も…お前と似たようなもんだ 数え切れねェ程の罪にまみれてきた」と述べた。圓翔がこれまで戦争をしてきた理由もまた高杉のテロリスト活動の理由と重なるように思う。

「あの頃からずっと逃げていただけだった
苦しみと戦う彼女の強さを戦場にある時だけ忘れられた
彼女から逃げ続ける自分の弱さを生と死の間にある時だけ忘れられた
何もできないまま彼女を失ってしまったこの苦しみを忘れられた
そうして今も逃げ続けている戦場へ…」

『銀魂』空知英秋 集英社 648訓


そうした圓翔の発言を聞き、高杉は先のことを圓翔に述べている。高杉のそれまでの活動に彼と同様の思いがあったのなら、それは己の臆病さ、弱さのために逃げようとしていた銀さんとも重なる。
最後の虚との戦いで高杉はとうとう斃れる。しかし佐々木、喜々が覚悟していたように、高杉自身も自らのこれまでのやり方から途中でそうなる覚悟やケジメをつけようとする思いはあっただろう。

「俺は俺の目的のため地に転がってった屍達を一つたりとも無駄にするつもりはねェ
そいつを踏みしめここまで昇ってきた
だがそこに最後に転がる屍はもう一つだけでいい」
「幾多の屍を踏み台にしてきた俺は
お前達のために流す涙もなくしちまった
だからせめてこの血くらいはお前達のために流させてくれ
この血肉がこの剣が果てるのはお前達の屍の上
そこが俺のたどりつくべき場所だ」

『銀魂』空知英秋 集英社 640訓 643訓


斃れて後已むといった感がする。

なるほど……ギャグマンガにはなれんわけじゃわい

亀仙人?!




高杉の左目という銀魂の心臓部分


銀さんが苦しみを避けるために誰とも関わろうとしない臆病さを抱えていたように、高杉もまた同様にそのように苦しみを避けようとする弱さを抱えていたことは先に書いた通りだった。


お互いの痛みを世界の誰よりも理解している点で両者は同一人物と呼んでいい半身でもあった。仮に高杉がテロという褒められない活動をしなかったら銀さんがテロを起こし、桂に止められる世界もあり得たかもしれない。それは単なる妄想だろうとも言えないのは、銀さんと高杉の魂には常に互いが存在していたからでもある。


攘夷戦争時代に銀さんと戦った人の心も見通す「覚眼」を持つ馬薫は再びまみえた銀さんに対してこう言う。

「そしてお前の心にあの頃と変わらず一人の人間がいることも
それは…師かそれとも友か敵か」

『銀魂』空知英秋 集英社 570訓


「師」は松陽に当てはまるとしても「友か敵か」の部分は当てはまるとは思えない。ここには高杉が入ると思う。それは高杉に向かって万斉が思っているこの台詞にも類似がある。

「お前の仇はまだ立っているぞ お前の友はまだ戦い続けているぞ」

『銀魂』空知英秋 集英社 572訓


この台詞の背景は銀さんが戦っている描写のため、仇と友は先の「友か敵か」と対応し、両者にとってやはり互いに似た思いを抱いていたと見て良い。



そして高杉は左目を失う直前まで見ていた松陽を殺した銀さんの表情を忘れられずにいた。

「俺のこの……潰れた左目は
あの日…最後に見た光景を焼きつけたまんま…閉じられちまった
俺ァ…てめェのシケたツラうんざりするほど…この左目で眺めて生きてきたんだ」

『銀魂』空知英秋 集英社 703訓


銀さんが常にその時に感じた業を忘れる事が出来なかったように、高杉も左の目に強く灼き付けられたその光景を常に見続けていた。高杉の閉ざされた左目は、しかし銀さんが過去に向き合わないよう閉じようとした光景を強制的に振り向かせる銀さん自身の内なる眼でもあった。高杉がシリアスな話でしか出てこなかったのは、彼が出ると銀さんの過去に触れずにはいられない、閉ざされた内側の眼が開かざるを得ないと言う、物語の核そのものをその左目に所有していたためだと考える。

高杉の目的


やり方はどうあれ、高杉の最大の目的はおそらく松下村塾に還ることだった。それは神威のやり方が最強を目指すものでありながら、その最強になる理由が昔の一つだった頃の家族を取り戻しそこに還ることだったことと同様だと推測する。それは高杉と対峙した朧の願いが血の契りから解放された事でただの弟子に還ることだったこととも同様だ。高杉が朧の意思を汲んで村塾の跡地に彼の墓を建てたのは、朧の気持ちが高杉にはよくわかったためだろう。高杉に倒された朧の最後の台詞はこうだった。

「俺は自らの魂のあり所を…見失ったがゆえ
松陽のためにも虚のためにも己のためにも戦えなかった」

『銀魂』空知英秋 集英社 595訓


この「あり所」は別の個所で書かれた「理想」や「ありか」と同義でもあると思う。それは抽象的なものではなく具体的なものであり、近藤さんの台詞を借りるなら、人は信念だ理想だと難しいことを普段は言っても大事なところでは常にシンプルに求めるものがあるということだろう。銀魂の登場人物が戦ってきたのは茫漠とした国や世界などのためではなく、常にそうしたもののためだった。そのため最終章で銀さん、高杉、桂が昔のように一緒に共闘している姿からは、当人たちは気づかなくてもとっくに失ったものを取り戻していたと言う事ができる。



また、それとは別に、高杉はやはり死にたい気持ちをどこかに持っていたのかもしれない。「俺達は生き残るべきじゃなかった」「だったらその銃で自分の頭を撃ち抜いてみろ 俺がやろうとしてんなそういう事さ」



壬生義士伝に、土方を追って函館戦争までついてきた元新選組隊士の台詞にこういうものがある。

「たぶん榎本は生きてえ虫で、土方は死にてえ虫だった。そのよしあしはわからねえ。ただ俺の心の中にも、榎本と土方は巣くっていたのさ。生きてえ虫と、死にてえ虫がな」

『壬生義士伝 下』浅田次郎 文藝春秋 2002年9月 電子書籍版275ページ


虚の中に人を愛する心と憎む心があったように、「生きてえ虫と、死にてえ虫」を同時に心に持つのは人間として当然のことだとオレは思っている。高杉の気持ちを誰よりも分かっていたのが銀さんなら、その「死にてえ虫」も銀さんの中に巣くっていたはずだ。しかし銀さんにはこういう台詞がある。不死の力を求める星芒教に追われながら彼はこう言う。

「俺は奴等の気持ちが解るよ まだ死にたくねェ まだ長生きしてェ」

『銀魂』空知英秋 集英社 699訓


桂や高杉が長生きに関心を示さず人生は今生限りでいいと言ったことに対してそう言う。オレは正直な台詞だと思った。どちらかが嘘ではなく、どちらも本当だと思う。だが、ただ生きる事は虚が言うように生でも死でもなかった。彼らは彼らが護りたいと思ったもののために生きてこそ初めて侍として生きて死ぬ事ができた。愛す、憎む、護る、壊す、生きたい、死にたいという正反対の対立関係にあった銀さんと高杉はある意味やはり一人の人間の葛藤や矛盾そのものであり、高杉は銀さんの影としての半身を担っていた。虚を超えるとは、そうした対立を超え、あるいは対立を認め、一人の人間として生まれ変わることでもある。最終決戦のターミナルでの戦いは、そうした人間の心の中そのものでもあった。



同時に、そうした心理的な意味とは別に高杉は当然現実に生きた人間でもある。彼に仮に「死にてえ虫」があったにしても、それは彼にとって最高の価値ではなかった。そうでなければ物語の途中で虚の血を使って延命しようとはしなかったろう。死にてえ彼がそうしてまで果たしたかった事は村塾の塾生と共に松陽を救うことであり、そのために命を伸ばし、必要な時に命を使い、本懐を遂げた後は潔く退場したのだ。「この血肉がこの剣が果てるのはお前達の屍の上」死んでいった仲間たちに対するそうした誠実な生き方は銀さんでは描けない。銀さんと同じ想いを持ちながら異なるもう一つの価値ある生き様を見せた点で、彼は銀魂のもう一人の主人公と呼んでもいい。高杉の理解者である万斉は洛陽決戦篇で高杉に対しこのように思っていた。

「生まれ変わろうとしているこの国を仇として踏み潰すのもいい 
それとも友としてその行く末を見届けてやるのもいい どちらでも構わんさただ一つ死ぬるときは
仇の屍の上でもない国の残骸の上でもない
友の隣で死ね」

『銀魂』空知英秋 集英社 572訓



おわりに


そうしてダチを護りその隣で果てた彼の生涯は勝ち負けでは計れない価値のあるものとなった。高杉や銀さん、いや多くの登場人物を通じて描こうとしたのはそういう生涯こそ虚、空っぽの生を超えると信じたからではないだろうか。異人に戦争で負けて人々に捨てられた義理人情や惻隠の情も大切にし、花のために生きようとした彼らはその生き方が自分にとって美しいと信じた。変わらぬと信じたそれはどこにあるのか。















『銀魂』空知英秋 集英社 703訓


そして銀魂の良いところは単に言葉でそれらしいことを言って終わらないところだ。この後に最終回である704訓に続いていく。作者が描こうとした「変わらないもの」を漫画、アニメという表現媒体ならではの方法で最終回、最終巻、『銀魂 THE FINAL』で表している。



また、あの赤ん坊の正体については読者の想像にお任せという感じで終わったのも、その意図としてはやはりそれらと同様のことだと思う。


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