カービィの新作が出るたびに話したくなる洞窟大作戦。あれは人間の心の深層心理を探検する話だったと思ってる
ぬかしおる
子どもの頃によく遊んで、今でも楽しい思い出として記憶に残っている星のカービィスーパーデラックス(SDX)。昔のゲームのそれが今でもスイッチなどを通して遊ばれているようで、とっつきやすいカービィシリーズの中でも完成度が比較的高いように思う。一つの作品で様々なゲームが出来るのも飽きない理由としてあるのかもしれない。
そのSDXのゲームの一つに洞窟大作戦というモードがあり、遊んでいた当時は一番面倒なステージという印象を持っていた。しかし、いつしか心に何かを一番残したのはそれかもしれないとも思うようになっていた。当時は宝箱の中に四季の思い出が入っているということも、理解は出来なくても妙に印象に残っていたことを覚えている。思い出が宝であることなど、その中を生きている子どもの頃に気づくはずがなかった。そこから離れた距離にあって、初めてその正体を見ることが出来る。あの洞窟、その中にある古代や楽園とは何だったのか、最後に暗闇から現れたものは何だったのか、それを探ってみたい。
洞窟は見えない暗闇であることから、心理学では心の見えない闇、意識の下にある無意識とされている。その中を進むということは、それまで意識していなかった無意識の中を進み、無意識の内容を意識と結びつけることを意味するという。
仏教では洞窟は修行の場であり、西洋ではドラゴンが宝物を守る場であり、コーランでは生まれ変わりの秘密の場所とされている。洞窟はそのように生まれ変わる場所、心の再生、人格の変容する場所とされる。
達磨大師 面壁九年
Wikipedia Bodhidharma.and.Huike-Sesshu.Toyo.jpg Maculosae tegmine
ワーグナーの『ジークフリート』に登場するドラゴン。洞窟内で黄金を護っている
Wikipedia Ring41.jpg Haukurth
七人の眠り聖人の洞窟
Wikipedia Seven sleepers (Menologion of Basil II).jpg Shakko
カービィが探検する古の洞窟は、最初はジャングルの生い茂るエリアやクリスタルが無数に広がっているエリアを通る。ジャングルはベトナムのソンドン洞、クリスタルはメキシコの洞窟やスペインのプルピ晶洞など現実にあるものにも類似を見出せる。巨大なクリスタルがCGではないことに驚く。
ソンドン洞
Wikipedia Son Doong Cave 1.jpg Vitalie Ciubotaru
プルピ昌洞
Wikipedia Geoda Pulpí.jpg JMorillasR
しかし、そこからさらに地下に降りていくと、今度は城の形をした古代の塔や、別の惑星や異世界であるかのような神秘の楽園エリアが現れる。この辺りから現実との類似を見出すのは難しくなる。強いて言えば東アジアに見られる洞窟寺院が古代の塔に似ているとも言えるだろうか。
インドの寺院に心理学者のユングは西洋人が初期に失った多神教、全体性を見出し、それを見る人は無意識、非文明、原始の世界に連れ戻されると述べていた。そこから、西洋は東洋の真似をするのではなく、西洋独自の方法で失ったものを取り戻す必要があることを痛感していた。
また、塔は教会と同じく堅固と安全を意味し、ユング自身も石の塔を実際に建て、それは時期によって改築された。それは一人になれる場所、より真の自己になれる場所を求めたためだった。ユングにとって塔は個性化過程を具現化する不朽の場であり、度々改築された姿はその時々のユングの心を現わしていた。
ユングの石の塔
Wikipedia Tour bollingen CGJung.jpg Doug4
また塔は、古代の時代に神によって崩壊されたバベルの塔としても連想できるかもしれない。タロットの塔のモデルの一つともされており、そこでは神の家や火事の家を表した。神の家でいうなら、北欧神話のオーディンの宮殿ヴァルハラも連想できる。
オーディンの神殿ヴァルハラ
Wikipedia AM 738 4to Valhöll.jpg Helios
ラグナロクに備え戦士の魂が集められた死者の宮殿は、心理学的には意識のかなた、無意識以上を意味しはしないらしい。戦士たちは無意識に棲む凶暴な本能や衝動の象徴かもしれない。オーディンはまたゲルマン民族特有の無意識の象徴としても知られている。
洞窟の最深部に美しい景色が広がる神秘の楽園エリアは現実にはほぼ存在しないと思えるため、心理的な意味が大きくなると思う。洞窟の下にこのような世界がある理由として参考になったのは、例の如くユングの著作だった。
海にある宝が隠されている。海底に達するには狭い隙間を潜って行かなければならない。これは危険であるが、しかし底に達すれば伴侶(der Gefährte[同伴者、仲間、連れ、友])が一人居るだろう。夢見者は暗い海底目指して思い切って飛び込む。すると海の下[海底]で、噴水を真中にして規則的に構成されている美しい庭に出会う
ある若い男性の千を超える夢と幻のうちの一つ
『心理学と錬金術Ⅰ』C・G・ユング 池田紘一・鎌田道生 訳 人文書院 発行 1976年四月 165ページより
海底の最深部で噴水のある美しい庭に到達する。ユングは海底の宝と伴侶と噴水のある庭を同じものとした。その場所は聖域であり、噴水は生命の水、賢者の石を意味するらしい。噴水のある神秘の楽園エリアという洞窟の最深部にある場所も、この夢と同様の意味があるのではないだろうか。噴水はカービィたちの住む世界にも夢の泉と呼ばれているものがあり、それによって人々は夢を見ることが出来るという重要な場所だった。
17世紀のマリアの信心画。噴水のある庭
『心理学と錬金術Ⅰ』C・G・ユング 池田紘一・鎌田道生 訳 人文書院 発行 1976年四月 107ページより
聖域は安全と保護も意味し、その意味では塔と同じになる。魔法陣や街の周囲の溝も同様の意味で、それは無意識との対決という原初的な不安に対するものであり、その中にいれば安心して無意識を体験できるということだった。
意識が無意識から離れるのは発展の必然だった。しかし現代はそこから離れすぎているために生命力、情熱、本能までも失っているため、それらを取り戻すために再び無意識と対決する必要がある。カービィの洞窟の塔や聖域とは、失った宝物を安心して取り戻すために必要な場所だったのかもしれない。
生命の泉は再生、若返りを意味し、それは生まれ変わる場所としての洞窟と同じ意味になる。ユングは、アボリジニーが夢の時代の祖先と自分たちを同一視することも同様な意味だと述べ、祖先(人間や動物)との遡行的同一化は、心理学的に見れば一種の無意識との結合を意味すると考えていた。
途中に現れるクジラ、魔法使い、ドラゴン、カメレオンといったボスたちを倒し、最後にラスボスとして暗闇の中から未開人のようなものが現れる。それを突破して宝物を持って地上に帰還する。
神話に多く登場するクジラ、魔法使い、ドラゴンや、カメレオンなどの爬虫類、未開人は分析心理学では人間の無意識に棲む存在とされている。それらは夢にも登場し、それと対峙するということは、人類の歴史の活動残滓とぶつかるという意味を持ち、それによってそれまでの自分では超えられなかった状況、限界を突破し、新しい立場へ前進することを意味した。
ラスボスの暗闇に浮かぶ原始的な風貌から、それと対決するということはアボリジニーが祖先と同一化し無意識と結合するのと同じ意味があるように思う。暗闇の無意識の根底には原始的な動物的な状態があり、その象徴として神話や夢では原始人や猿として現れることがあるという。洞窟の最深部で出会ったその存在はもう一人の自分とも言える存在だった。
まとめ
洞窟大作戦はそのように深層心理を探検するものだと思った。普段は日々の生活で忙しくて意識しなくとも、様々な大きな問題を誰もが無意識には感じている。歴史が一つの方向に進むときに感じる潜在的な不安に対して、夢や創作物はそれを補完しようとする。ゲームも創作物であるならそのように働いても不思議ではない。ましてやカービィなどのアクションゲームは心理的なものを狙った作品ではないために、かえって意識的な心理的な作品よりも無意識的な心理を、そのことに無自覚であるために表現するということもあるかもしれない。
洞窟大作戦をクリアすると銀河に願いをという最後のモードが現れる。これも舞台が洞窟から宇宙に変わっただけでどちらも無意識を表しているのかもしれない。月と太陽の対立によって滅亡の危機が起こり、それを引き起こした悪魔的存在と願いを叶える機械神の消滅によって世界は秩序を取り戻す。エンディングではカービィは寝ている。初めから全て夢だったのかもしれない。それでもそれは壮大な冒険だったとあの頃プレイしてクリアした当時のオレは思っていた。
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