少し前に報道された事件で、電車内での喫煙やマスクの不使用を注意されて暴行に及んだものがあった。またTwitterで自己肯定感がトレンドに入っていた時に「自己肯定感は低いけどプライドが高くて怒られるのがムリ」などのツイートが多く支持されていた。これらの根本には人間の本質にある虚栄心が問題としてあるのではないだろうかと疑問に思った。尤も細かく見れば注意する人の仕方とか注意される人の性格や状況も関わっているとしても。
ヴィンランド・サガのネタバレがあります。
虚栄心について
思うに、これ以上に表面的な、これ以上に根深い欠点というものはまたとはあるまい
『笑い』ベルクソン 訳 林達夫 岩波書店 1938年2月 158ページ
ベルクソンは著書『笑い』で、虚栄心は誰もが持つ表面的かつ根深い欠点であり、それは社会生活の自然的所産であるため自分では中々気づきにくいと述べていた。ベルクソンはまた、笑いを社会で無作法な振る舞いをする者への矯正、復讐と捉えた。社会は成員に適応する事を要求するため、無作法者を笑うことで屈辱を与えて萎縮させることでその目的を遂行できるという。
それは悪に対して悪をもって報いるようなもので、笑う者たちはその対象よりもさらに激しい無作法な振る舞いをしているため、笑いが放心している自惚れである虚栄心の特効薬でありながら、絶対的に正しいわけではないということだった。自分では気づきにくい虚栄心は笑いによって罰せられるか、他者を見て自らを顧みることによってのみ気づくことが出来ると言う。
ベルクソンの論じた「笑い」はモリエールなどの喜劇を題材としたため、笑いの性質の全てを言ったわけではおそらくない。しかしそこで扱われた笑いは人間の持つ普遍的な習性と切り離せないものだった。こうした人間の虚栄心とその克服がよく描かれていると思ったのが千年前の北ヨーロッパを舞台にした漫画『ヴィンランド・サガ』のオルマルの話だった。ケティル農場の戦いで降伏することにしたオルマルは、そもそもの戦いの口実を相手に与えたのは自分に嗤われる勇気がなかったからと述べる。
実際にはトールギルの言うようにオルマルでなくでも他の誰かが口実にされただろう。駐英デンマーク軍の維持費を得るため、クヌートは新しい財源の確保としてケティル農場を接収することに決めた。増税をしてイングランド国民に不満を起こさせるよりもその方が少ない犠牲で全体を利することになる。その時点で衝突は避けられなかったにしても、オルマルが話しているのは個人的な問題のことだった。
「ノルドの男の価値は武勇と富で決まる だからみんな略奪行為に行く」
『ヴィンランド・サガ』幸村誠 講談社 83話「償い」
オルマルは自身の剣の腕の未熟さを王の使徒たちに侮辱されたために戦いを始めた。そこにはノルドの男社会の持つ価値観も関係している。古来から戦うことが当たり前で戦争を肯定する彼らは戦士としての名誉を最高の価値とする。特にオルマルの兄のトールギルは王の近衛も勤めた屈強な戦士であり、自身を誇りそうした価値観を是としてきた。オルマルも当然トールギルのようになることに憧れる。その点でオルマルは典型的なノルドの若者だった。しかしその社会の傾向と自身の性質が必ずしも合致するとは限らない。その社会の持つ背景に縛られている点では現代の人も変わらなく、形骸化している昔の男らしさ、女らしさという価値観によって今の男性も女性もそれに強制されて苦労することがあることに似ているかもしれない。
現代の日本の男性を縛っている価値観についてはこの記事が参考になった。そこでは男性の生きにくさの理由の一つは弱さを表に出さないことが美徳という風潮が今も残っているためということだった。これはノルドの男社会とも共通しているように思う。https://gendai.media/articles/-/86012
ケティル農場で半人前扱いだったオルマルは戦場でこそ一人前になれるという願望があった。しかし実際に戦争を体験することで自身とトールギルが全く違うタイプの人間であることを知らしめられ、また大勢の死傷者を実際に目の当たりにしたことで、自分の弱さを認めて表に出した。名シーンの多い奴隷編の中でもオルマルが新しい当主として降伏を決めた時の台詞は印象的だった。自分は戦士ではないとトールギルの前で勇気を出して宣言したことで、戦士になろうとしていた時には得られなかった戦士に必要な気概をオルマルは知らないうちに手に入れている。それは虚栄心からでは求めているものは決して得られないということを示しているのかもしれない。
オルマルとギョロとの衝突など、つまらないことで意地を張って他者と衝突することはオレにも覚えがある。オルマルの話は自分を顧みて虚栄心を自覚して避けるための鏡のような意味を持つ話でもあった。
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