
Fate/stay nightのFateルートで気になったところを

どういう話なの?

正義の味方を目指す少年と騎士王の少女が出会うボーイミーツガールの話です
十年近く前にアニメを一度見ただけだったので内容をほとんど忘れてた。今回プレイしてこういう話だったのかと色々発見した思いがある。
結論 役割から解放されて二人がただの少年と少女に戻る話
戦争の続く国を平和にしたいという想いから王になったアルトリアは、その役割と目的のために私情を捨てて邁進するも、結果的には国を守れなかったために過去を改変しようと聖杯戦争に参加することになる。どんな望みも叶える聖杯を手に入れ国の崩壊を無かったことにしたいというのがその望みだった。しかしその真意は、自分よりも王に相応しい人に役割を譲ることで自分の存在を無かったことにしたいというものだった。
正義の味方を目指す士郎はそんなアルトリアに出会い、救いたいと思うようになるも、ただの人助けという今までの方法ではアルトリアを救えないことがわかり、自らの在り方の歪さに気づくようになる。士郎が正義の味方を目指していたのは過去の被災の時に周囲を無視して一人だけ生き残ったことに責任を感じていたためだった。そうした痛みと重さを抱えて今を肯定することが失ったモノを生かすことになると考えていた。
どちらも過去のことに責任感や罪悪感を持っている。しかしアルトリアが過去を否定し後悔していることに対して、士郎は過去を肯定しているという違いがある。士郎自身はそれを誰に教わったわけでもなく自然とそう考えるようになったと言っている。しかしそういう考えが出来るような土台を作ったのは切嗣と過ごした日々という環境にあり、それが士郎を育んでいったためではないかとオレは思っている。
被災地の被害者の持つ罪悪感には精神看護学研究者のパトリシア・アンダーウッドによると二種類あるらしく、一つは自分より大きい被害を受けた人と比べることで助かったことへの感謝、安堵感を許容できないことや、亡くなった人を忘れないようにすることで自分は生きるべきではないと考えるというもの。もう一つは被災地でするべきことを出来なかったことに対するもの。それは被災時の意思決定と通常時の意思決定を混同するために持つという。異常状態とそれが落ち着いた後の状態は異なる。だが、落ち着いた後にそれが不可能だったにも関わらずこうするべきだったと誤って考えてしまうという。
そういう罪悪感や心の傷が切嗣と生活をすることで小さくなっていったために、士郎は前向きになれたのではないだろうか。士郎は過去と向き合っている時にこう言っている“俺が彼らの死に縛られているように。俺が、衛宮切嗣という人間の思い出に守られているように。だから思い出は礎となって、今を生きている人間を変えていくのだと信じている”
被災で全てを失った士郎が切嗣との生活で自身を肯定できるようになったように、王としての役割を果たせなかったために自身を責め、否定するアルトリアも士郎との生活で自身を肯定できるようになっている。それがアルトリアの失った剣と鞘であるカリバーンとアヴァロンを士郎が投影魔術で蘇らせるところに現れていると思う。
カリバーン
カリバーンはアルトリアが王になると決めた時に手に入れた最初の剣で、それは平和にしたいと最初に誓った想いでもあった。王としての役割を全うするうちに忘れてしまったその想いを、士郎が自身と向き合う姿を見て思い出したことで、「世界」と契約する前までの生涯は実際に一つの信念を実行してきた事実があり、それは誇れることで間違いではなかったと自身の進んできた道を肯定することが出来ている。これはエミヤが「世界」と契約して死後に守護者となる前の生前は、自身は偽物でもその想いは借り物ではなく本物だったと士郎との戦いで気づくことが出来たことで自身の進んできた道を肯定するようになったことと共通している。Fateルートでは士郎の持っているカリバーンがギルガメッシュの持つ原罪という名の剣に敗れるところがある。それはUBWルートで描かれている、士郎の最初の誓いである切嗣との約束は強制されたものであり、自発的な想いではなかったという士郎の欠陥、与えられた罪の隠喩であるかもしれない。
アヴァロン
アヴァロンはアルトリアが最も大事にすべき負傷しない守りとされている。それを失っていたということが、アルトリアが負傷していることを現わし、それを獲得することが、傷ついていた心の回復として現われているように思う。アルトリアが自分を責め、否定しているのは王という役割に囚われているためであり、その役目を果たせない自分に価値はないとしているためだった。そういうアルトリアに士郎が王に対してではなく一人の少女に対するように接してきたのは、士郎がアルトリアのことが好きなためなのと、アルトリアの忘れた過去の記憶を士郎が夢で見て知っていたために、アルトリアの失った王としての役割以外の人間としての、全体としてのアルトリアを知ることが出来て、そういう視点から見ることが出来たためなのかもしれない。
王としての役割に囚われているアルトリアを救うには、正義の味方の役割に囚われているわけにはいかない。士郎が正義の味方という歪な在り方ではアルトリアを救えないと言ったのはそういう事だったように思う。役割から解放され、アルトリアが自分自身を取り戻すためには、士郎自身もその在り方から解放されて自分自身を取り戻すことが必要になる。そうして、士郎はそれまで最高の価値だと思っていた不特定多数を助けるという生き方以上に、特定の大切な一人を守るという考えを重視するようになる。それは過去の出来事から正義の味方であることしか許されなかった士郎が、アルトリアと出会うことで自分自身を許すことが出来るようになっているということだと思う。それは士郎がそれまで気づかなくても心のうち深くで願っていた想いであり、それが士郎が最初に見た剣の夢の意味の答えでもあった。
被災の時に埋め込まれて士郎自身が気づかなくても持っていたアヴァロンは、切嗣の思い出と言う士郎自身が気づかなくても自身の存在を肯定してくれるものでもあった。そのアヴァロンを士郎がアルトリアに渡し、アルトリアが受け取ることは、アルトリアが王としての役割から解放されて自身の存在そのものを肯定することが出来るようになったことの現われであるように思う。そのため、アヴァロンとは傷のつくことのない絶対的な肯定、安心感を現わしていると思う。そうして二人は最後の戦いを経て、役割から解放されて、ただの少年と少女に戻る。士郎が綺礼に止めを刺すときに叫んだ言葉の意味も解放だった。
まとめ
そのため、このルートの話は役割として存在すること以外許されなかった二人が、ただの少年と少女へと解放される話だと思った。二人が別離の前に交わす最後の会話に、アルトリアがそれまで役割としての自分のために答えることの許されなかったことを答えることが出来ているところにそれが表れている。
おまけ エクスカリバーについて
アルトリア自身を表すものだと思う。陰陽の夫婦剣がエミヤやその在り方を表していたことと同じ。
剣は“士郎の中心、芯に眠るモノ”で士郎を構成する因子とされている。 エクスカリバーは剣の中でも最高に尊いモノとされ、それは士郎がアルトリアに対して抱いた想いと同じものだった。そのため、アルトリアやエクスカリバーは士郎の中心、芯に眠る最高に尊いモノの投影されたものとも考えられる。
士郎のなかで眠っていた尊いモノとは、士郎がそれまで気づかず埋もれたままでいた、本人にもわからなかった最高の価値あるものであり、それは士郎自身の抱える問題を解決する答えを暗示している。正義の味方を目指しながら、その方法に疑問を持ち葛藤していた士郎が見た剣の夢は、その解決に必要な答えの暗示であり、その直後に士郎の前にアルトリアが現れている。平和の観念の実現に生涯を賭けたアルトリアの生き方を美しいと感じ憧れた士郎にとって、それこそが士郎が無意識に求めていた葛藤の答えだった。葛藤を乗り越えた後は実際に態度が更新されている。それは不特定多数を助けるという生き方以上に、特定の大切な一人を守るという考えを重視するようになったことにも表れている。
士郎のうちで眠っていたモノは、桜のうちの影が桜自身とは無関係な独立した客体としての存在だったように、それは士郎とは無関係な独立した客体、士郎の心、魂(ゼーレ)だったのかもしれない。

残酷な~天使の~

それはテーゼです
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